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大阪地方裁判所 平成10年(ワ)5651号 判決 1999年3月19日

原告

中村敏夫

被告

株式会社アラウン

右代表者代表取締役

荒川八郎

右訴訟代理人弁護士

安西愈

込田晶代

右訴訟復代理人弁護士

石渡一浩

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一原告の請求

被告は、原告に対し、一三二〇万円及びこれに対する平成一〇年六月一六日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、被告の従業員である原告が、休憩時間を全く付与されなかったことが債務不履行(安全配慮義務違反)に該当するとして、被告に対し、損害賠償として慰謝料の支払を求めた事案である。

一  当事者間に争いのない事実

1  原告は、昭和五七年七月被告に雇用され、被告が日本IBM株式会社(以下「日本IBM」という)及びその子会社である株式会社CSTSとの間で締結した施設内業務委託契約に基づき、他の被告の従業員とともに、大阪市北区堂島の日本IBMの事業所内(以下「堂島事業所」という)において、主として、電話によるコンピュータの障害受付業務に従事していた。

2(一)  被告の就業規則では、勤務時間及び休憩時間について、次のとおり定められている(三九条)。

(1) 勤務時間は、一日につき一時間の休憩時間を除き、実働七時間一五分とする。

(2) 会社の標準就業時間は、休憩一時間を含め午前九時から午後五時一五分とする。

(3) 社員各人の始業・終業及び休憩時刻は各部所業務形態が異なるため、別表のとおりとし、所属部所において各人毎に指定する。

(4) 休憩は、業種及び業務の性質上、就労場所毎において一斉又は交代でとることがある。

(5) 会社は、業務上その他必要ある場合は全部又は一部の者について、第三項及び第四項に定める始業・終業・休憩時刻を変更することがある。

(二)  被告は、堂島事業所における休憩の付与について、昭和六三年六月二〇日付けで天満労働基準監督署長に対し一せい休憩除外許可申請を行い、許可されている(なお、労働者数の変更により、同年九月一二日付けで改めて許可申請を行い、許可されている)。

3  被告の従業員の毎日の具体的な勤務時間は、毎月の勤務割表において勤務時間帯を指定することによって定められる。勤務時間帯には、日勤(午前八時ないし一〇時ころから午後四時ないし七時ころまでの勤務)、夕方勤務(午後四時ないし五時ころから午後二二時三〇分ないし午後二三時四五分ころまでの勤務)及び夜勤(午後一一時ころから翌朝九時ころまでの勤務)などがある。毎月の勤務割表は、当月の二一日から翌月二〇日までを一月として定められる。

二  争点及び当事者の主張

主たる争点は、被告が原告に対し休憩時間を付与していたか否かである。

1  原告の主張

(一) 被告は、就業規則において、従業員に一時間の休憩時間を保障しているが、原告に対しては、当初から、夕方勤務及び夜勤において休憩時間を全く付与しなかった。また、被告は、昭和六三年に天満労働基準監督署から休憩の付与等につき是正勧告を受けたが、これを無視し、その後も一切の改善策を取らず、原告に対し休憩を付与しなかった。

被告は、交替して各人毎に休憩を付与している旨主張するが、夜勤は定員が一名であり、交代要員は存在しないから休憩を取ることは不可能であり、夕方勤務も、日本IBMとの契約人数は四名であるのに、被告は右契約人数の四名しか出勤させておらず、交代要員又は余剰人員が配置されていないから、やはり休憩を取ることは不可能であった。

(二) 原告の従事していた障害受付業務は、発生の予測がつかないコンピュータ障害の受付業務であり、いつ電話が鳴るか分からない状況での待機を余儀なくされ、また、いったん障害が発生すると日本IBM技術員の確保、派遣に取りかからなければならず、極度の緊張を強いられる。被告は、原告がこのような厳しい環境にあることを知りながら一切休憩時間を付与しなかったのであり、原告は、その結果食事も一〇分ほどですまさざるを得ない状況に置かれ、その一〇分間でさえ、電話に対応しつつ、コンピュータ端末を操作しながら食事を取る状態であった。

(三) 被告が原告に対し休憩時間を付与しなかったことは、被告が雇用契約上有する原告の健康、安全に配慮する義務、すなわち雇用契約上の安全配慮義務に反する債務不履行である。これにより、原告は、一六年間もの長きにわたり、前記のような過酷な労働を余儀なくされたのであり、これにより重大な肉体的、精神的苦痛を被った。

右精神的苦痛に対する慰謝料は、四四〇〇日(一六年間の就労日数)に一日当たり三〇〇〇円を乗じた額である一三二〇万円が相当である。

2  被告の主張

(一) 原告の本件損害賠償請求権のうち、本訴が提起された平成一〇年六月五日から一〇年以上前の昭和六三年六月以前の就労に係るものについては、すでに消滅時効が完成しているので、被告は、右時効を援用する。

(二) 被告の堂島事業所では、夕方勤務、夜勤のいずれについても、交替で休憩を取得させており、原告に対しても、休憩の取得を禁止したことはない。

(1) 夕方勤務においては、電話の件数が大幅に減少する一九時以降、出勤している従業員が四五分ずつ交替で休憩を取得しており、現に原告も休憩を取得していた。休憩時間中は、食事のために外出したり休憩室で過ごすのも自由であるが、休憩時間が夜であることから、離席せずに自席で持参した弁当を食べたり新聞や雑誌を読んだりしている者も多かったため、一見すると誰が休憩を取得しているか分かりにくいこともあって、休憩を取得する際には声をかけるようにしていた。

(2) 夜勤においても、休憩を取ることは可能であった。また、原告は、昭和六三年以降は夜勤についておらず、それ以前は消滅時効にかかっているから、いずれにしても原告に損害賠償請求権はない。

(三) 契約人数のうち一部の者が休憩を取得することにより、一時的に業務に従事する人員が契約人数に満たないことになっても、これについて、日本IBMから契約違反であるという苦情が出たことはない。

第三争点に対する当裁判所の判断

一  原告の昭和六三年六月四日以前の就労に係る損害賠償請求権について

原告の本件請求権は、休憩時間を付与しないという債務不履行に基づく損害賠償請求権であるところ、右損害賠償請求権は、勤務中に休憩時間を付与されないことにより日々発生するものと考えられるから、本訴提起時にすでに一〇年を経過している昭和六三年六月四日以前の就労に係る損害賠償請求権は、すでに時効により消滅していることが明らかである。

したがって、本件では、昭和六三年六月五日以降被告が原告に対し休憩時間を付与しなかった事実があるか否かを検討すれば足りる。

二  原告の昭和六三年六月五日以降の就労に係る損害賠償請求権について

1  (人証略)及び原告本人によれば、原告は、遅くとも昭和六三年以降は夜勤を全く行っていなかったことが認められるから、本件では、夕方勤務について検討すれば足りる。

2  前記前提事実並びに証拠(略)及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

(一) 原告は、昭和六三年以降は、おおむね、堂島事業所において夕方勤務に従事していたが、その業務内容は、日本IBMのコンピュータのユーザーからの電話による障害受付であり、電話で障害の内容を聴取し、IBMの技術員と連絡を取って派遣させること及び障害に対応したIBMの技術員からの報告を受けることがその主な内容である。電話の本数は、コンピュータのユーザーの大半が企業であることもあって、夜間になると減少するのが通常であり、一九時以降は、自然災害が発生するなどの突発的事情がない限り、おおむね一時間に一〇本程度となり、少ないときは一時間に二、三本以下の場合もある。電話の内訳は、技術員からの報告がユーザーからの電話に比べ圧倒的に多い。堂島事業所においては、昭和六三年ころ以降は、これらの業務に四名で対応していた。

電話に対応していない間は、障害受付の内容をコンピュータに入力するなどの作業もあるが、基本的には単に待機しているだけであり、従業員は、その間は何をしても良く、実際には、新聞や本を読んだり、インターネットをしたり、テレビを見たり、コーヒーを飲んだりして過ごすのが実情であった。

(二) 被告は、堂島事業所において、昭和六三年以前は、従業員に対し、夕方勤務において明示的には休憩時間を付与していなかったが、原告がこれを労基署に訴えたことから、昭和六三年三月二九日労基署の是正勧告を受け、それ以降は一九時ころから四五分ずつ交替で休憩を取得するよう従業員に指示し、これに伴い、夕方勤務の契約人数も二人から四人に増員した。また、被告は、同年六月二〇日及び九月一二日、労基署に対し一せい休憩除外許可申請書を提出し、その許可を受けた。

なお、被告は、このころ原告を解雇したが、その後解雇を撤回し、原告は、同年夏ころ堂島事業所に復帰した。

(三) 右被告の指示により、堂島営業所においては、当初、一九時ころ、四名の担当者の間で休憩に入る順番を決め、時間が来れば、お互い声を掛け合って誰が休憩しているのか明確にするようにしていたが、もともと、一九時以降は電話の本数が少なくほとんどが待機時間というのが実情であって、その間は休憩時間のように過ごすことができ、離席も自由であったため、その後、原告を含め、大半の従業員が意識して休憩時間を取得することはしなくなった。もっとも、休憩時間を取得して外出することは可能であったが、夜間であることもあって、実際に外出する社員はほとんどなかった。

このような勤務状況に対しては、昭和六三年以降、原告も含め、従業員から苦情が出たことは全くなかった。

3(一)  以上によれば、堂島事業所においては、昭和六三年以降は、夕方勤務においても休憩時間を取得することは可能であったというべきである。確かに、右のとおり、堂島事業所においては、昭和六三年ころの一時期を除き、明確に時間を特定して休憩を取得することはされていなかったことが認められるが、それは、待機時間が長い業務の性質上外出する必要性がない限り時間を特定して休憩を取得する必要性に乏しかったことから、従業員の間で事実上そのような慣行が形成されていたに過ぎず、前記認定のような勤務実態に鑑みれば、そのような慣行が労働者の休憩時間の取得を不当に妨げるものであるとはいえない。そして、(人証略)によれば、かかる慣行のもとでも、四五分間の休憩を取得して外出することが禁じられていたわけではなく、現実にも休憩を取得することは可能であったと認められるから、休憩を取得することができなかったという原告の主張は理由がない。

この点に関し、原告は、電話の対応に追われて休憩が取得できる状況になかったとも主張するけれども、その業務内容に関する原告本人の供述は、電話の本数が一九時台には合計一〇〇本以上あったと供述したり、また、二〇本程度であると供述したりして一定しないばかりか、(書証略)とも合致せず、信用し難い(なお、原告本人は、かつては現在よりも多忙であったとの趣旨の供述をするが、他に客観的証拠はないし、かえって、(人証略)によればここ一〇年間で基本的に違いはないことが認められるので、採用できない)。また、原告本人も、電話対応以外の時間に食事に行くことは許されていたこと、離席してはならない旨の指示はなかったこと、電話のないときには本を読んだりコーヒーを飲んだりしていたことは認める趣旨の供述をしており、原告本人の供述を前提としても、休憩時間も取得できないほど多忙であったとは到底考えられない。

なお、証拠(略)及び弁論の全趣旨によれば、原告は、障害受付業務の他にストック業務(コンピュータ部品の発送関連業務)に従事することもあったことが認められ、原告は、右ストック業務における休憩も問題にするようである。しかしながら、前掲証拠によれば、ストック業務の勤務場所は、平成六年一月までは堂島事業所の障害受付業務と同一であったが、それ以降は土佐堀に移転したことが認められるところ、(人証略)によれば、ストック業務が堂島事業所において行われていた間の休憩の取得状況は前記認定と同様であったことが認められ、勤務場所が移転した平成六年以降については、原告がこれに従事した頻度は明らかでないし、ストック業務において休憩が取得できなかったことを窺わせる証拠はない。

したがって、被告に休憩時間を取得させなかった債務不履行があるとは認められない。

(二)  これに対し、(書証略)(いずれも、被告のもと従業員の陳述書)には、堂島事業所において休憩時間がなかった旨の記述がある。しかしながら、右各陳述書は、いかなる状況で作成されたのか不明であるうえ、いずれも、時間を区切った休憩時間が存在しなかったことを述べているに過ぎないとも読めるものであり、前記認定を左右するものではない。また、原告は、被告が日本IBMとの間の契約人数しか配置していないから、休憩を取得することは不可能であるとの主張もするが、(証拠略)によれば、日本IBMは、契約人数の一部が休憩を取得することについて契約上特に問題としていないことが認められるから、右原告の主張は理由がない。

三  結論

以上の次第で、原告の請求は理由がないから棄却することとする。

(裁判官 谷口安史)

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